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    【プロ野球】芸術作品!完全試合(パーフェクト)達成投手を解説

    【プロ野球】

    野球が大好きで野球の魅力を伝えたいけんにぃです。

    ピッチャーが一試合で残す最高の結果である完全試合。

    9イニング投げてランナーを一人も出さずに27人連続でアウトを取る芸術的な離れ業です。

    過去のプロ野球でこの芸術を達成した投手は何人いるのでしょうか。

    また達成者にはどんな傾向があるのか考察したいと思います。

    ➡️【プロ野球】ノーヒットノーランと完全試合の違いと達成人数を解説

    【プロ野球】芸術作品!完全試合(パーフェクト)達成投手を解説

    完全試合達成投手一覧

    達成日 投手 所属 スコア 対戦相手 球場 備考
    1950年6月28日 藤本英雄 巨人 4-0 西日本 青森市営野球場 NPB史上最年長記録(32歳1ヶ月)、かつプロ野球史上初(セリーグ初、昭和初、20世紀初、大正生まれ初)
    1955年6月19日 武智文雄 近鉄 1-0 大映 大阪球場 同年8月30日の大映戦でも9回1死までパーフェクトに抑えている。パリーグ初の完全試合。
    1956年9月19日 宮地惟友 国鉄 6-0 広島 石川県営兼六園野球場 最小投球数(79球)、昭和生まれ初の完全試合
    1957年8月21日 金田正一 国鉄 1-0 中日 中日球場 抗議と観客乱入で9回1死から43分間中断

    NPBでの達成者では唯一の左腕投手

    1958年7月19日 西村貞朗 西鉄 1-0 東映 駒澤野球場
    1960年8月11日 島田源太郎 大洋 1-0 阪神 川崎球場 NPB史上最年少記録(20歳11ヶ月)
    1961年6月20日 森滝義巳 国鉄 1-0 中日 後楽園球場
    1966年5月1日 佐々木吉郎 大洋 1-0 広島 広島市民球場 元々はアテ馬で1回終了時点で交代の予定だった
    1966年5月12日 田中勉 西鉄 2-0 南海 大阪球場 1シーズン2人目の達成を果たした唯一の例
    1968年9月14日 外木場義郎 広島 2-0 大洋 広島市民球場 セ・リーグタイ記録となる1試合16奪三振も記録
    1970年10月6日 佐々木宏一郎 近鉄 3-0 南海 大阪球場 大阪球場でのプロ野球の完全試合は3度目(最多)
    1971年8月21日 高橋善正 東映 4-0 西鉄 後楽園球場
    1973年10月10日 八木沢荘六 ロッテ 1-0 太平洋 宮城球場 カウントが「3ボール」までいかなかった唯一のケース
    1978年8月31日 今井雄太郎 阪急 5-0 ロッテ 宮城球場 NPB史上初と同時に現在でも唯一の指名打者制度ありでの達成

    昭和最後の完全試合

    1994年5月18日 槙原寛己 巨人 6-0 広島 福岡ドーム 平成初にして唯一の達成

    20世紀最後の完全試合

    現時点でNPB最後の完全試合

    達成者の傾向と特徴

    達成者は全部で15人。

    その内14人が1950年~1970年代の30年間の間に達成されています。

    1979年から2020年までの41年間でなんと達成者は1人だけという偏りを見せています。

    1950年~1970年代というのは、セ・パが6球団ずつになる前であったり巨人伝説のV9時代の幕開けであったりの昭和のプロ野球全盛期です。

    当時の先発投手は登板数で50試合~60試合で投球回が250イニング~350イニングという今では考えられない頻度で登板していました。

    現代野球では先発投手はシーズンで20~30試合が当たり前なことを考えると異常です。

    当時は先発投手がリリーフで投げたりするのが当たり前だった時代だったのでこれだけの差が生まれています。

    しかしそんな中で完全試合達成者が14人も誕生した1番の要因は、現代よりも打撃のレベルが少し劣っていたのではないかと推測出来ます。

    当時は今のようにピッチングマシンをはじめとする練習環境が整っていない状況で、剛速球投手がいてもそこに対して対策のための練習が十分に出来なかった事が大きいのではないでしょうか。

    また今のようにデータ野球という概念もなかったので事前に準備出来る範囲にも限界があったのは間違いありません。

    素晴らしい投手はいつの時代にも存在していて変わらぬ剛速球、キレキレの変化球を投げています。

    現代野球ではピッチングマシンは180kmでも200kmでも速さを調節出来ます。

    剛速球で手も足も出ないことは少なくなりました。

    またデータ野球が浸透し投球のクセ、変化球の種類、投球術など全て丸裸にされた状態で試合に臨む現代野球での完全試合達成が極端に少なくなっている要因の1つではないでしょうか。

    唯一の左腕投手達成者 金田正一

    後にも先にも400勝した投手はこの人になります。

    今後もこの不滅の記録を塗りかえる選手は現れないと思います。

    衝撃な逸話で20年間の現役生活ではストレートと縦カーブの2種類のみで400勝を達成しています。

    晩年は少し種類を増やしていますが、現役の大部分を2種類だけとは信じられません。

    また剛速球を投げるにもかかわらず常にノーサインで金田が投げる球種を決めており、捕手はどの球種がくるかわからないため非常に苦労していたようです。

    豪快な性格とは裏腹に、トレーニングやコンデション調整などは人一倍神経を使い常に万全の状態をキープすることに生活に全てを捧げていたようです。

    前人未到の400勝を達成する投手は常識では到底図れない次元で野球に取り組んでいたのです。

    獲得タイトル

    • 最多勝利:3回
    • 最優秀防御率:3回
    • 最多奪三振:10回
    NPB記録
    • 通算400勝
    • 通算4490奪三振
    • 通算5526.2投球回
    • 通算365完投
    • 通算298敗
    • 通算1808与四球
    • シーズン20勝以上:14年連続14度(1951年 – 1964年、回数・連続回数ともにNPB記録)
    • 64.1イニング連続無失点(1958年4月30日 – 1958年5月27日)
    • 最年少200勝達成:24歳309日
    • 公式戦開幕投手:14度(国鉄10度・巨人4度)
    • 連続シーズン100奪三振以上:16年(1950年 – 1965年)

    NPB記録に関しては凄すぎてもう訳が分かりません。。

    完全試合を達成しても驚かれないレベルの超超一流投手でした。

    平成唯一の達成者 槇原寛己とは

    巨人一筋19年間活躍し2001年に引退しています。

    完全試合の印象とバックスクリーン3連発を打たれた投手の印象がある槇原投手。

    現役生活で9度の二桁勝利を達成し、斎藤雅樹、桑田真澄の三本柱として巨人の先発ローテーションを長年守ってきました。

    獲得タイトルは多くないものの記憶に残る名投手であってことは間違いありません。

    獲得タイトル

    • 最多奪三振:1回 (1988年)

    表彰

    • 新人王 (1983年)
    • 月間MVP:3回 (1986年8月、1988年5月 投手部門:1989年5月)
    • 日本シリーズMVP:1回 (1994年)
    • 日本シリーズ優秀選手賞:1回 (1987年)

    まとめ

    いかがでしたでしょうか。

    完全試合は槇原寛己が達成してから26年間達成者は出ていません。

    来シーズン達成者は現れるのでしょうか。

    達成者がいなさすぎてなかなか話題に上がることがありませんが、期待して待ちたいと思います。

    ではまた。

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